不定形爆発 Ver.2.0

アニメとか漫画とか、まあ色々。与太話ブログ。プラモの話と写真はTwitterに移転しました。

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『憑物語』—憑かれていたか、疲れていたか

新年初更新ですが、『ゆゆ式』じゃなくて『憑物語』の話です。いえーい。


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言葉遊びをしたいと思います。


今回は『憑物語』というタイトルですので、まず「憑かれている」ということについて。


斧乃木余接は憑かれていました。
それは言わずもがな、彼女が付喪神だからです。決してただの可愛らしい童女ではなく、人の死体から形作られた付喪神であって、怪異です。人でなしです。
人の死体に何かが取り憑いている、と言ってもいいのかもしれません。
あるいは、手折正弦という男の美学に、こだわりに憑かれていたという面もあるでしょう。生きていない、死んだ怪異こそ美しいとする彼の美学に見初められて憑かれていた。
その美学に憑かれていたことに加えて、影縫余弦が怪異との間に立てる代理人の役割を果たしていたということも、上記の「自分は人でなしである」という意識を固めていたやもしれません。彼女は「人であるために」人の形をしているのではなく、「人といるために」こそ人の形をしているのですから。決して人になることのできない、どうしようもない隔たりがあります。

阿良々木暦は憑かれていました。
彼は鬼に憑かれています。今回の話で、阿良々木くんが吸血鬼に近づきつつあるということが示されたことで、一層「鬼に憑かれている」という事実、忍野忍と一心同体・一蓮托生・運命共同体であるという事実が強調されました。
あるいは、吸血鬼の力というものに憑かれていた、とも言えるでしょう。吸血鬼の力を使えば、およそ大抵のことは解決でき、実際解決するために何度も吸血鬼化してきたのですから。そうして解決できるという事実に、力に、彼自身溺れていた部分もあったのでしょう。それは余弦が指摘したことからも窺えることではあります。

手折正弦は憑かれていました。
余弦が言うように、美学やらこだわりというのに憑かれていたと言えるでしょう。
もうひとつ、「自分は体よくこの場にキャスティングされたのではないか」という思いに支配されていました。憑かれていました。
そして彼の中でのその事実、キャスティングされて阿良々木くんを吸血鬼に近づけることの手伝いをするなどというのは真っ平御免だと、疲れてもいました。

「疲れている」ということについて。
阿良々木暦は疲れていました。
人助けをしなくてはならないということに。もちろん、彼はそれを苦にも思ってないようですが、妹の月火に言わせるとそうではない。
背負い込みすぎると月火は指摘します。手にも背にも負えないことを、なんでも背負い込もうとする。それが自分を追い込むのではなく、追い詰めてもいる。そう指摘します。
千石撫子が蛇神になったことも、今回妹たちと神原駿河が攫われたことも、我がこととして考えようとする機会があるようです。そういう危うさ、ないし傲慢さが彼にはあるようです。余弦もそんなことを言っていましたね。
そうやって分相応を知らず、背負い込めるだけ背負い込んでいく姿勢のままでいるのなら、阿良々木暦という人間の重力は増していくばかりでしょう。さながらブラックホールのように。今回、忍野扇が彼をして「曲げることのできる人間」と言ったのは、その点正しいのかもしれません。全てを自分の方へ引き寄せ曲げるブラックホール。

斧乃木余接は疲れていました。
いや、疲れてはいなかったかもしれません。今回の話で、彼女と阿良々木くんとの間で人と人でなしの狭間の話(人を殺すとか殺さないとか、余接を交渉物として渡すか渡さないとか)はありましたが、この話で彼女が疲れている素振りなどなかったのですから。少なくとも、私の目にはそうは映りませんでした。
終盤、彼女は正弦を殺し、自らが人の領域を外れた怪異であることを顕示します。それは彼女の語るように、阿良々木君との間に埋めがたい溝を作るという扇の目的に沿ったものであったかもしれません。
しかし、最後のオチの部分になって、彼女は阿良々木家に人形としてやってきます。扇の目的が分断なら、それと真逆に阿良々木くんに接近しようと言うことでしたが、それは見方を変えれば、阿良々木くんというブラックホールに「曲げられた」という言い方もできるでしょう。背負い込まされた。穿った言い方をすれば、疲れさせられたと言ってもいいのかもしれません。それでも、あの愛くるしい童女の見た目をした怪異はそれを表に出すことはしないでしょう。いえーい、とか言ってのけるに違いありません。

阿良々木くんも斧乃木ちゃんも、何かであって何かでない、中途半端な存在になりました。
阿良々木くんは、人でもなければ怪異でもないモノに。
斧乃木ちゃんは、そんな阿良々木くんに曲げられて、怪異として離れるでもなく、愛くるしい童女でもない、人形としての居候・代理人に(斧乃木ちゃんに関してはもとよりこの代理人という位置だったというのもありますが、それでも阿良々木くんとの距離がこれまでとは別の形で迫ったのは疑うべくもないと感じます)。
立ち位置のハッキリしないブラックホールが、この先拡大していくのか否か、それはわかりませんが、この阿良々木くんを中心にした人間関係は気になるところです。

しかし、そんな曖昧な状態を全肯定してくれる戦場ヶ原というのは、阿良々木くんにとって心強い存在だと思います。このブラックホール的関係においてはどう転ぶかわかりませんが。忍は「吸血鬼になっても構わない」とか言ってましたからね。戦場ヶ原ひたぎという存在はかなり貴重です。

阿良々木くんを中心とした関係性と、忍野扇というわけのわからない存在(メタ的な存在なのでしょうか)がどういう結末を迎えるのか。
そういうワクワクに憑かれていますし、早くアニメ化してくれーと疲れてもいます。早く!

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  1. 2015/01/18(日) 01:11:47|
  2. アニメ感想・考察(Ver.2.0)
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2014年完結編

2014年も終わろうとしているのにブログを更新しないのもアレだなぁ…というアレな考えに至ったので、今年見たアニメの中で印象に残ったものを5本挙げてみようかと思います。5という数に特段意味はございません。5本しか見ていないというわけでもございません。いや、実際、情報摂取限界量があんまり高くないのか、クールごとに5,6本しかアニメ見てませんけども。


①『ウィッチクラフトワークス』

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小林裕介、瀬戸麻沙美 他

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以下全部4つウィッチクラフトワークス並べて終わらせようかと思うくらいには、ウィッチクラフトワークスが印象に残りましたね。
Twitterの方でも書いたことではあるのですが、原作漫画でどうにも動きが感じ取りづらい部分を、アニメーションという媒体で改めて描くことで、シーンの説得力とか迫力とか、物語る力が増したなぁと感じました。何話か忘れましたが、初めて箒で街中を飛ぶところとか。あと原作の異様なまでの描き込みをテレビという色つき媒体にしたことで、これもまた、「本当はこういう世界だったんだな」と自分の貧弱な想像力を補ってもらえたような形です。

あとOP曲気が狂うほど好きです。
あと多華宮くん好きです。
あとクライシスさんの声癖になりますね。
あと公式HP開いた途端にいきなり音声が流れだすのでおったまげますね。



②『シドニアの騎士』

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逢坂良太、洲崎綾 他

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おれ、シドニアの騎士、すき、シドニアの騎士見て読んで、つよく、なる。

原作漫画は1巻が出たころから買っていますが、原作の絵柄とCGがすごく噛み合ってたように感じました。むしろCGで良かった。
ウィッチクラフトワークスと被りますが、原作の絵柄だと結構淡泊に描かれがちなところも、実際はここまでやべえんだぞというのを見せつけられた思いもあります。寄居子とか、継衛の機動とか。
おかげさまでRIOBOTの継衛を通常カラーとアニメカラーの2体買ってしまって合計2万ちょい吹っ飛びました。プラモもありましたが、就活でコトブキヤに履歴書送ったら落ちたので、買ってないです。嘘です。



③『GJ部@』

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四ノ宮京夜: 下野紘、天使真央: 内田真礼 他

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見ろ、話はそれからだ。



④『ばらかもん』

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半田清舟:小野大輔、琴石なる:原涼子 他

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なんと言いますか、なると半田先生の「許してもらえて、よかったぁ…」という台詞に身につまされる思いがしましたね、はい。特に最近他人に(悪いことしたな…)と思っても、その場ではとっさに自分の正当性を探すというような悪い癖がついてしまっていたようなので。ごめんなさいとか、すいませんという言葉が出てこない。
どうでもいいですけど、「申し訳ございません」より「ごめんなさい」「すみませんでした」とかって言葉の方が、個人の信頼に訴えかけている感じがして、ちょっとグッときますね(許すとは言っていない)。僕も今度から積極的に「チッうっせーよ反省してま~す」って言っていこうと思います。冗談です。嘘です。三跪九叩頭礼する勢いでいきます。何年も前のネタでチッうっせーよ反省してま~すすみません。
あ、なるの声を当てていた子役(でしたっけ?)もよかったですね。方言が自然でした。自分は別に九州の人ではありませんが、親戚が九州の人なので、以前からなんとなく親しみがありましたから。まあ親戚は福岡と佐賀で、別に長崎の人ではないんですけどね。しかし方言というものを、お芝居に落とし込むのは難しそうですね。役者がその地方出身ならいいですが、そうでないなら、方言指導を受けてどこまで似せられるかの勝負になってきますから。きっとそれができるのが役者という人なんでしょうけど。
話の着地点が見えなくなったので強制終了。



⑤『ハナヤマタ』

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上田麗奈、田中美海 他

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かわいいだけでもいいんだけど、たまにはかわいいだけじゃ物足りなくなるから、こういう作品も必要だということです。
きらら系列か、また心がぴょんぴょんするようなのかな…と思いきや、きららはきららでもきららフォワード、中身もきちんとシリアスありスポ根的要素ありという様相でございましたね。
ぱーっとぱーっと晴れやかになって終了するだけじゃなくて、なる(あ、これもメインキャラの名前「なる」ですね)の成長に咽び泣けということです。妖精に導かれるのを夢見るだけの女の子じゃなく、初めてのよさこいを不安の中で踊るだけの少女でもなく、自分でも、私でも、関谷なるでも、「いくよーっ!」って声をあげられる、夢見た妖精に一歩近づくことができる。そういう姿に僕は心を打たれました(実話)。
加えて言うなら、彼女たちが仲違いする場面もあるのがよかったですね。キャラクタとは言え人間ですから、やはり相容れる部分と相容れない部分があって、その相容れない部分が「絶対に」相容れないのかそうでないのか、謝れるか許せるか、どういう関係でいたいのか…逡巡してくれるのは、なんというか、人間味みたいなものが感じられて、嬉しいです。自分で書いてて(嬉しいってなんだよ…)と思わなくもないですが、なんだか嬉しい。そんな感じです。別に他人が険悪になってるのを見るのが好きとかいう意地の悪さが出ているわけではない…たぶん。




というわけで以上5本でした。番号振ってありますけど、別に順位付けとかそういうんではないのであしからず。
本来であれば、この後に「2014年買った漫画総目録&一言コメント」を書こうと思っていましたが、買った漫画が満杯の本棚に入るはずもなく、しかたなくダンボール箱に収めたところ、ダンボール2箱から漫画タワーが生えるような有様になってしまったので断念いたしました。無念。そもそも「書こう」と思い立つのが遅い自分が悪いんですがね。サンタさんがいるなら大きい本棚を僕にください(周回遅れ)。

代わりと言ってはなんですが、2014年に見たアニメ映画に適当一言コメント付けて終わりにしたいと思います。


・『思い出のマーニー』

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ある意味、夏に見るにはぴったりの映画でしたね……。

・『楽園追放-Expelled from Paradise-』

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アンジェラ・バルザックちゃんのおしりに仁義チョップ!!(最低)


以上です。2014年も弊ブログを見てくださり、誠にありがとうございました。来年もまたよろしくお願い申し上げます。
2015年はもっと更新するね!もっとゆゆ式のこと書くように頑張るね!鬼が爆笑しそうだね!





  1. 2014/12/29(月) 23:32:45|
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とりとめもないけれど、それでも時間は過ぎていくから。という話

『ゆゆ式』の単行本を読み、『ゆゆ式』のアニメを見、『ゆゆ式』のブルーレイディスクを買い、思考の基底に「『ゆゆ式』は面白い」という言葉が浸潤しつつも、『ゆゆ式』についてなんら記事を書いていなかったので、何か書きたいと思って記すところであります。あと、見ていて鬱陶しいと思いますので、以下ゆゆ式に言及する部分では『』を省略します。


思い返せば、初めてゆゆ式に触れたのは、高校生の時分であったと記憶しております。
確か、その頃は『けいおん!』『けいおん!!』が全盛期であって、「萌えアニメとかきっしょ」とのたまっていたクラスの友人が嬉々として原作本やCDを買っていたのが珍妙でもあり、翻って、コンテンツの勢いを感じていたのは記憶に鮮明なところです。そういう周囲の熱に押された格好で、普段は単行本ばかり買い漁って、雑誌にはとんと手を出していなかった自分も、まんがタイムきららを購入することにしました。
ゆゆ式を初めて読んだのはその時です。まあ「明確に」思い出せるのがその時というだけであって、いつだかきららキャラットを買った時なんかに出張掲載されていたような気もするので、曖昧です。

そこで読んだ時にも、同時に掲載されていた他の4コマ漫画とは違って、どこかしら面白いな、と思う部分はあり、惹かれました。しかし、芳文社のコミックスは1冊800円台のバケモノであり、当時高校生でバイトもしていなかった自分が手を出すには、なかなか踏ん切りもつかず、そのうち面白かった4コマ漫画の思い出は雑多な記憶の澱に沈んでいきました。

改めてゆゆ式のことを思い返す契機になったのは、ちょうどアニメ化が発表されたころです。
「そういえばこんな漫画あったな」という感覚で、記憶の海から面白いという感情が引き出されてきたこともあり、またバイトを始めてお金もあったので、思い切って既刊全巻を購入してみることにしました。
ところが意外と本屋に置いてありません。代わりにどこの本屋も『キルミーベイベー』が全巻揃っていたりして、これは何かの陰謀かと疑わしくもなりました。
何軒か回ってようやく手に入れたので、さっそく取り掛かりましたが、なるほどこれを推す人々がいるというのもうなずけましたし、これはきららの筆頭であると感じました。

まず、不自然さがないと感じました。
きららに掲載されていた他の4コマに比べて、たとえば極端な美少女も極端なお金持ちも極端な巨乳も出てこない。縁はいいとこのお嬢さんではあるけれど、お金の力で何かを解決するということもないですし(このあたりは、けいおん!で紬が「もう一声~」とやっていたのと対照的だな、と)、ゆずこもボケはしますけど、それは狙ってやっているボケであって、よくいるテンプレートなボケキャラや天然ボケというのではないです。クラスによくいるノリのいいお調子者という塩梅。唯もツッコミで暴力は行使しますが、やりすぎたと感じたら(やりすぎたと感じる描写が、自分の中ではすでに画期的でした)きちんと反省もします。
総じて、極端さがない、いたって普通、現実に敷衍してもどこにもおかしさが見当たらない……。それまで読んでいたギャグ漫画・コメディ漫画、あるいは日常系というものの中でも、この極端さのなさは新鮮に映りました。いわゆる「ベタ」を切って捨てるわけではありませんが、フィクションの決まりごとの軛からはだいぶ離れて、現実に寄り添っている感覚がありました。ともすれば、きらら系列の4コマというよりは、『コボちゃん』に近い部類かもしれないですね。

とはいえ、コボちゃんかと言われるとそうでもない。
きらら系列でもなければコボちゃんでもないのは、やはりゆゆ式が、会話が主体の4コマ漫画であるからでしょう。
その会話も、非常にとりとめがないですね。中学生・高校生が話すような、何か人生の転機になるような会話でもなければ人の心を大げさに揺すぶってくるわけでもないおしゃべり。時には語感だけで話をつなぎ、時には季節の話題を出し……。場合によっては4つのコマに収まらない文脈(朝昼夜、前日譚等の時間的系列がページ単位で展開する)で会話が展開されていきます。
とりわけゆゆ式に特徴的なのは、やはり主人公3人の世界を見させられているという感覚で、そもそも読者に文脈が提示されていないことさえあります。どの巻かぱっと思い出せませんが、「一時期流行ってたシャウト系?」などのくだりは、そもそも読者に示されていない情報です。でも、3人の中でなら通じる。
あの日あいつがやってたアレがネタになっておしゃべりが弾む……というのは、誰しも経験があると思います。そういう誰にでもあったしゃべりの経験を踏まえているので、かなりスッと心に入ってきます。「自分もこういうバカみたいな話してたな」「語感だけで話したこともあったな」と。そういう意味では、ゆゆ式はかぎりなく過去の再演であるとも言えるでしょう。特に、ゆゆ式は「絵でオチがつく」ことが少ないので(漫画なのに!)、会話でオチるその感覚は、自分の身体感覚・経験に照らすことのできるものだと思います。一方で、裏を返せば、それは個々人の会話の記憶に依拠するということでもあるので、ここでゆゆ式を面白いと感じるか否かが分かれるのでしょう。

そしてゆゆ式の世界では、時間が流れます。
1学期が2学期になり、1年生が2年生になり。こういう時間の流れがある4コマ漫画は珍しいわけではありませんが、前段でお話ししたように、かなり「自然な世界」で時が流れていきますし、まして過去の再演を見ている感覚の自分からすれば、それはノスタルジィに他なりません。いつまでも続いてほしいけれど、そういうわけにもいかないのですよね。
キャラクタもかなり等身大でありますので、唯の言うゆずこ評や縁評(「頭いいし」「物怖じしないし」)あるいは時の流れへの嘆息(「もう2年生の3学期か…」)等が余計に普通な感覚を、時間の流れを、過去を意識させてくれます。
キャラクタで言えば、ゆずこ・唯・縁の3人組だけの世界が、相川・岡部・長谷川の3人の世界と連結していくのも、見ていて世界の広がりが感じられますし(クラスメイトのモブが「え、あの3人ってそういう関係なの!?」とかやってたころよりは明らかに広がってますよね)、グループの違いが会話の質の違いにも表れるように感じられました。

そんなこんなでゆゆ式に惚れ込み、ブルーレイディスク全巻買ってなお、北米版を買うかどうか検討している今があるわけです。
もしゆゆ式を読んでいないという人がいるのであれば、自分は全力で推します。後悔はさせないつもりです。


ゆゆ式 (1) (まんがタイムKRコミックス)ゆゆ式 (1) (まんがタイムKRコミックス)
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三上 小又

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ゆゆ式を信じろ。






  1. 2014/10/17(金) 19:47:45|
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日常系難民ってという話

超短い上にすンごいしょうもないネタですが。

日常系の作品が終わるたびに、一定度の難民が生まれます。
日常系を見ては、そののんびりまったりした世界観や、かわいらしい女の子という麻薬なんかにどっぷりはまったヤク中視聴者。んで、その作品が終わるたび絶望し、「次の難民キャンプを見つけなければいけない…」などと仰っているわけですね。
思い返すと『GJ部』のころからいたような気がします。
『GJ部』→『ゆゆ式』→『きんいろモザイク』→『のんのんびより』→『未確認で進行形』(or『桜Trick』?異説あると思います)→『ご注文はうさぎですか?』って感じでしょうか。今期はどこに難民キャンプを打ち立てたんでしょうか。『普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。』が、一番「やさしい世界」を体現しているとは思うのですけども。

それはさておき、自称なり他称なり「難民」と言われている彼らですが、果たして「難民」なのか?と。
なんか毎回ゾンビよろしく次の獲物難民キャンプを求めているわけですが、バビロン捕囚の憂き目に遭ったユダヤ人じゃあるまいし、「難民」と称するほどなのかな…と思わないではいられないわけです。まあ自分が、心を『GJ部』と『ゆゆ式』に預けてしまっているからなのかもしれませんが。
毎回それらの日常系アニメのBDを買っているとか、BDを買ってことあるごとにそれらを見てしまう人々もいますがそれらの人もまとめて日常系難民でくくってしまうと、「亡国たるアニメに対して愛着とか執着とか望郷とか郷愁の気持ちはないんかい!」とか思ってしまうわけですね、ハイ。
いったい彼ら日常系の難民は、いったいどこにルーツを持った難民なのか?
特定の作品の面影を追い求めているわけではなさそうですし、日常系の雰囲気というか、「やさしい世界」という曖昧模糊とした物を追い求めているだけなら、いっそイナゴか、はたまた霞を食べる仙人とでも呼びならわしたらいいんじゃなかろうかと。


しかし、望郷の念を抱いていた難民も、時が経つにつれて出自へのアイデンティティが変化していくのかな…とWikipediaのバビロン捕囚の記事見て考えてしまいました。ルーツへの愛着を失っていくと言うのか。きっかけになった国=アニメを忘れ果て、果てなき流浪の民と化してしまうこともあり得るのかも…と。
あるいは、忘れ果てても、ルーツや定住地(自分の場合は『GJ部』『ゆゆ式』ですね)に戻って/を見つけて、移動を終える…と考えると、ああやっぱり、難民という呼称は適切なんだなと。
ただ、難民ではあってもイナゴにはなりたくないですね。雰囲気とか空気とか曖昧なものに釣られてモノを見るんじゃなくて、なにか言語化できるモノを見ていきたい。これは抱負ですけどね。




なんか話がぐるりと一回転したような気もしますが、まぁ完徹したテンションで文章書いたらダメだなってコトですかね(了)







  1. 2014/07/21(月) 05:39:24|
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GJ部麻薬論なんて書いたことを謝らせてほしい。そして、ありがとうと言わせてほしい。

5月5日、26時30分。
5月5日、27時30分。

終わりました。


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四ノ宮京夜: 下野紘、天使真央: 内田真礼 他

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2つ前のエントリで、自分は「GJ部麻薬論」なるものをぶち上げました。その中で、こんなことも書きました。

放送後にBDやDVDを借りてきて(^p^)となる人間が果してどれほどいるのか。


申し訳ございません、完全に自分のことでございました。
BDは全巻発売日に買いました。りぴーと!でぃすくも買いました。『GJ部@』のBDも買うでしょう。きっとそれらを何回でも見返すと思います。

GJ部麻薬論を書いていた時、それはもちろん「面白いネタを提供してやろう」という気分も多分にありましたが、最初に頭にあったのは『らき☆すた』のことでした。
ひょんな機会で『らき☆すた』を見た時、「キャラクタがかわいいな」とか「パロディ面白いな」とか「このアニメ好きだな」などと思ってはいたものの、その後ついぞ見返すことはなく、同時に世間でも絵やらSSやらの2次創作はどんどん下火になっていき、俗な言い方であまり好きではないですが、いわゆるオワコンという位置についているような気がしていました(『らき☆すた』が好きな方には申し訳ありません)。
結局、キャラクタがかわいいという一点でしか興味を保持していなかった自分にとって、それはある意味の契機になりました。

「かわいい」だけでは誰からも顧みられない。
「かわいい」だけの萌えアニメならいずれ飽きられる。

そう考えていたからこそ、麻薬論を書いた当時の自分は、『GJ部』も所詮、瞬間最大風速をマークして消えていくだけの仮の物に過ぎないんだ……と感じていたのです。
社会のメカニズムに風刺をくれてやるわけじゃなし、険悪な人間関係の中から何かを拾い出すわけでもなし。
学園バトルでもなければSFロボットでもないし、ラブコメでもなければファンタジーでもない。
ただただ「かわいい」だけの、萌えアニメじゃないか、と。

ところがどっこい、ですよ。
最終回に近づくにつれて、どんどんのめり込んでいる自分がいるじゃないですか。
『GJ部』なんて、別に現実を引き映した鏡でもなければ、世間様に大上段から問題をふっかけるような作品でもない。
あんなにちっちゃい女子高生なんていないし、チェスでワールドチャンピオンに勝っちゃう先輩もいないし、毎日ケーキ焼いてくれる同級生もいない。ひたすらマンガ肉食ってる留学生も、敬語の使い方がみょうちきりんに過ぎる後輩もいない。
でも、そこには確かに「終わり」があったんです。
1話から季節は容赦なく進み、いずれ訪れる卒業式。
ゆるゆるやっていた毎日は終わりを告げ、同時にこの作品で描かれてきた世界も終わり。

そうすると必然的に、今まで見てきた話の中身を思い出すわけです。
このキャラクタたちは、今までに、どういうことをしてきたのかを保護者目線で振り返る機会が与えられたように感じました。
そうすると、そこまで思い入れがなかったはずなのに、割と思い出せるじゃないですか。
かわいいキャラクタたちが。

『GJ部』のキャラクタのデザインやら動きなんて、現実には全く関連がないわけです。『けいおん!』みたいに、わりかしリアルな女子高生に似せてあるわけでもないし。
でも、画面上でキャラクタたちが見せるちょこまかした動きや、言動なんかは、確実にかわいいんですよ。小動物的かわいいもあれば、ラブストーリー的かわいいも、コメディ的かわいいも、いろいろありましたが。
そんな言葉で分類するのも野暮なくらい、かわいかったんです。

どんなものにも来る終わり、それが劇中の卒業式や文化祭なのか、はたまたメタ視点の最終回なのか…。それは様々でしょうが、そこまでの過程を思い返し、懐かしみ、郷愁にも似た気分を味わうための思い出の付箋としての意味も、「かわいい」にはあったんじゃないか、という気がしたのです。

『GJ部』自体は、最終回、終わりのその後、部長を引き継ぎ、意思が引き継がれていく…という部分を見せてくれました。この引き継いでいく過程をドラマチックにキャラクタが感じる(そう視聴者たる自分に見せる)ためにも、やはり視聴者が「かわいい」にタグ付けしたそれまでの話数が重要になってくるわけで、そういった意味でも、画面上にかわいく、居心地のよい空間を見つけだすことの重要性は大きかったように思います。

「かわいい」にあんまりにも意味を見出しそうとしすぎて、自分は変なことになっているのかもしれませんが、それでも、以前の『らき☆すた』を路傍に打ち捨てていた頃の自分を『GJ部』はよくぞ成長させてくれたと思います。

今回の『GJ部@』も、卒業式のあとということで、まず「卒業旅行」というワードが出てきてくれたのは、ごく自然に感じました。あ、『GJ部』は終わったんだなと。あそこでのかわいかった思い出は、一区切りついてしまったんだなと。
でも卒業を迎えた後、終わったままじゃ寂しい。だからこそ。
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GJ部は心の中にあって、いつまでも永遠だという終わりのその先の言葉が、とても響いてくる。
最後にGJ部のみんなで手をつないで出来た輪。『GJ部@』の@の輪。終わりのないものがある輪。
『GJ部@』とてもよいものでした。


『GJ部@』を見終わった後、寝ないでぶっ通しでこの文章書いているので、かなりとっ散らかった印象がありますが、最後に。
「かわいい」があるからこそ、作品の「かわいい」のその先に思い至れる。
「かわいい」だけでも、思い出の付箋になる立派な役割がある。
かわいいもんはかわいいんだ。それの何が悪い。
という、今さらと言えば今さらなことですが、気付かせてくれた『GJ部』『GJ部@』には、麻薬論をぶち上げたことを謝りたいのと、感謝の気持とでいっぱいです。



最後にもうひとこと付け加えるなら、
『GJ部』のかわいさは麻薬レベルだと思います。(了)

テーマ:GJ部 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2014/05/06(火) 05:41:24|
  2. まじめに考えた邪推
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