恋は戦争。なんかもう、「君に届け」とか生ぬるいこと言ってる場合じゃないんじゃない?
『君に届け』第12話の話。
くるみちゃんの計略が見事に発動し、爽子ではなく風早の方に揺さぶりをかけることに成功したわけですが、これが吉と出るか凶と出るか。
しかし、「こいつ、受けて立った・・・・・・!」と考えているくるみちゃんと爽子が戦うのは、先ほども言ったとおり、「君に届け」とか、そんなことを言っている場合じゃないような気がします。
2人とも根本にある気持ちはまさに「君に届け」なんでしょうが、表面だけを見るなら、これは闘争ですよ。恋は戦争、ってやつです。
で、戦争という立場から考えてみると、「戦術は時にいかなる非常をも肯定する」という言葉があるように、くるみちゃんが弄する策も、肯定されてしかるべきです。搦め手に回ったって、勝てればいいんですよ、勝てれば。
ただそれが許されがたいように描かれているのは、それが人道的に良くない事だからなんだと思います。戦う相手の爽子ではなく、風早の気持ちを揺さぶりに来ているのは、どうもいただけません。好きな人を傷つけるようなことは。喩えるなら、戦時条約に違反してクラスター爆弾やら核やらを使っている感じ。
それと、戦略的にどうなんでしょう。仮にくるみちゃんが爽子に勝ったとして、長いスパンで見たときに、そのときの自分に後悔しないでいられるのか。
恋は戦争。決して「正々堂々と戦おう」というスポーツとは違います。
だけど、真っ直ぐ、正面突破をかけた方が強い。どれだけの兵力を正面に集中できるのか。
将を射んと欲すれば馬を射よ。
でもこの戦争は、十重二十重の陣をぶち破り、あらゆる障害物を破壊し、将に正面から挑んだほうが、きっと強いんでしょうね。
- 2009/12/23(水) 07:22:58|
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命の行方は。いやぁ、いい最終回でしたね。え、違う?
ということで、第12話の話。
今まで散々「美琴はマジョリティに何をもたらせるのか?」と書いてきましたので、幻想御手編も終わったことですし、そこに注目して書いていきましょう。
それを考える上で参考になるのはやはり
「こんなところでクヨクヨしてないで・・・迷ってないで・・・もう一度!」という美琴のセリフでしょう。かなりうろ覚えですが。
このセリフとともに美琴はレールガンを放って「幻想猛獣(AIMバースト)」を打ち倒し、人々の心を開放へ向かわせるのです。
その前までのシーンを見ていると、やはりマジョリティたちは力が無いこと、伸びないことといった劣等感に苛まされているようでした。
マジョリティは、佐天や爆弾魔や強盗犯の声を借りて、美琴に訴えかけてきます。
いやむしろ、力ある者を責め立て糾弾していたと言ってもいいでしょう。
そんな彼らに向かって、美琴は攻撃をしのぎつつ、
「ごめん」と謝ります。
このときの彼女の気持ちは、事件後に黒子が言っていたように「今回の事件は、あの人たちの気持ちに気づいてあげられなかった自分たち能力者が悪いんじゃないか」というものだったでしょう。
ただここで注目したいのは、彼女が幻想御手を使った人たちと絶対的に違うのは、自分の非・落ち度・嫌なところといったネガティブな部分を口にして、それを暴露しているという点です。もちろん、「ごめん」しか口にしていないので、そこは言外の意味を汲み取るなり何なりしないといけないのですが。
自分の嫌なところを認めるのは、彼らもやったことでしょう。
しかし、彼らはその「存在」を認めただけであって、直視することはしなかったのではないでしょうか?
仕方ないとか言って、諦めるしかないのか、でも夢は捨てられないとか立派なことを言ってはいますが、それはただの言い訳に過ぎないのではないか、そう思うのです。
しかも、その言い訳を心の内に溜め込んでいる。
その点、美琴は彼らの気持ちを受け、ごめんと謝っています。
普通、そんなことを言われたら「それはおめーらの努力が足りねーんだよっ」位の気持ちにはなりそうなものですが、美琴は素直に受け止め、それに応えます。
それができたのは美琴の来歴、レベル1から努力に努力を重ねてレベル5に到達したという、その過去があればのものでしょう。
来歴も含めて、素直に人の気持ちに応えられた美琴は、努力を途中で放置し、期待が重いとか諦めるとかと言ってふて腐れてしまったマジョリティとは、絶対的に違うのです。
ここで、美琴はマジョリティの最高の目標足り得ることがわかります。
そうでしょう?美琴は、彼らと同じ場所からスタートして、あの位置にいるのですから。
気持ちを受け止められ、その上でかけられた「もう一度」の言葉は、どれだけを彼らの心に投げかけたか分かりません。
この一件から、マイノリティはマジョリティの良き指標であるべきという図式が見えてきます。
指標は人に絶望感を与えるものでもありますが、美琴には希望を与えるものであってほしい。そう感じます。
美琴の放ったレールガンの一撃は、彼らの内に新たな命を宿しました。
それを生むのも、殺すのも、全ては彼ら次第。
今後が楽しみです。
あ、佐天と初春に触れられなんだ・・・。
AIMバーストのうねうねした触手見てたら、ビオランテ思い出した。
- 2009/12/19(土) 07:44:17|
- とある科学の超電磁砲
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にゃんとも可愛いラブコメディ。というわけで最終回を迎えた、『にゃんこい!』の話。2期、あるんですか?w
まあそれはともかくとして。
自分はこのアニメの売り文句は「にゃんとも可愛いラブコメディ」だと思っていたので、その観点から見れば、大成功だったと言えるでしょう。
ずうっと前から、「楓可愛いよ楓」と散々書いてきたのは言わずもがなですが、他キャラだってもちろん可愛い。朱莉とか朱莉とか朱莉とか。あれ?
この最終回でも「にゃんとも可愛い」のは相変わらずで、ネコ耳の潤平も可愛かった(?)のですが、ホントにニャンコになってしまった潤平とか、潤平からの電話を受けて慌てふためく楓とか、もう可愛いの洪水。いやはや、眼福眼福。
そんな愛すべきキャラクタ達が「ラブコメディ」をやってくれるんだから、これはもう素晴らしい、グッドとしか言いようがありません。個人的にはその気持ちが一番盛り上がったのは、5話の遊園地デートの話だったのですけどね。
その反面、ラブコメディとしてストーリーが終局をちゃんと迎えられたのかと言うと、それはまた別問題になるような気がします。
ここからは非常に感情的な話になるのですが、最近、多数の女の子が出てくるラブコメ作品(いや、ハーレムか)で、主人公はなんとも優柔不断なのにモテモテという、そんな作品の割合が多いような気がしていました。
そこで、このアニメですよ。
潤平は、別な女の子にフラフラしたりはしません。その心には常に楓がいるのです。
だから、この作品はきっと、男の子が気になる女の子のベクトルをこっちに向けさせるために頑張る話なんだ、他の女の子に惑わされること無く。と、勝手に思い込んでいた面がありました。
ですから、ちょっと決着が曖昧なまま終わってしまったのには、何ともいえない感覚を生じました。視聴者の側から見れば決着は付いているのかも知れませんが、作品内でもやってほしかったなぁ、なんて。自分はもっと「ラブ」が見たかったのかもしれません。
さて、今回の話の気になった点を挙げますか。
ニャムサスが考え付いた策というのは、招き猫の額に落書きをすることと、楓の周りに猫を集めることのどちらだったんでしょうか。
初見では落書きのほうだと思ったのですが、猫があんなにわらわらと勝手に集まってくるとは考えにくいのですよ。
どっちなんだろう?
あるいは、両方とか?
そこだけがどうも疑問です。個人的には両方説を推したいところですが。
演出論や声優さんの演技には言及することができないので(でもCMの合間のあれは、面白かったですよ)、この作品について今書けることは、このくらいです。
今期、安定して楽しむことができたこのアニメが終わってしまうのは、にゃんとも寂しい限りです。
それじゃあ、2期に期待しましょうか。
- 2009/12/18(金) 06:18:07|
- にゃんこい!
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とりあえず、女子に
赤い彗星をぶつけてくる爽子のクラスは、中々えげつないなと思う。
ということで、『君に届け』第11話の話。
今回の話の軸にもなっている「特別」ですが、個人的には名前に関しての特別に注目したいところ。
そうです、龍が「・・・爽子」と言ったシーンの、風早クンのあの表情ですよ。
ここで念頭においておきたいのは、「名前」で呼ぶことの重要性。苗字じゃなく、名前で。
男子同士でも、よほど親しくなければ(大抵は幼い頃からの付き合いだったりするのですが)、名前で呼び合うことは無いように思われます。まして女子となれば尚更です。
その点、女子同士って、案外すんなりと互いを名前で呼び合うように思えます。名前に対するハードルが低いというのか。
風早クンもそこは一般的な男子なようで、いまだに爽子の名前を読んだことはありません。当たり前といえば当たり前ですが。
だから、龍が「爽子」の名前を出したときに、あそこまでの反応を示したんでしょう。一歩先んじられる感覚がしたんでしょうね。
その上、今まで皆「貞子」と呼んで、ある種爽子に対する正しい認識ができていなかった面もあるでしょうから、名前を正しく認識されることで、程度の大小はあるにしろ、爽子への周囲の評価が変わることへの思いも、少なからずあったんじゃないでしょうか。
爽子が千鶴とあやねの名前を呼ぶシーンでも色々ありましたが、アレとは違って今回は“恋愛”が絡んできていることが印象的。
同じく「名前」関連では、くるみちゃんが梅という名前がコンプレックスであることを吐露しました。
梅という名前がコンプレックスに感じられるのは、それがババくさいという「特別」だからでしょう。言い換えればマイノリティ。
風早クンもくるみちゃんも、名前という特別に悩んでいるところを見ると、あながち「似たもの同士」という認識も間違っていないかも、と思ったり。
でも、この共通項で、二人を簡単に括れるかどうかと言われれば、それまでなのですけどね。
今日の千鶴は
これにしか見えなかった。
- 2009/12/16(水) 05:49:27|
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