くすぶるなぁ・・・。先々週、ブログであんなことやこんなことを書きましたが、先週の8話で
「んんwww何も解決しておりませんぞwww」と突然ポケモンも大してやってないのに論者化する程度には、あの棚上げ(最後で「これでいいのか・・・?」とは言ってましたが)に驚いたわけですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。私は元気です。
さて、そんなこんなで勇太を意識し始めて、頭に蝶々がとまるほど頭がお花畑になってた(カワイイ)六花ちゃんですが、まぁ気になることがございまして。
それって恋なの?前回、勇太に中二病を肯定してもらえたのは良いと思うのですが、それが恋心なのかなぁ・・・とか。
まぁ人間のラブい心情を語るほどレベル高くないというか卵から生まれたてみたいな状態の自分ではありますが、それでも「なーんか違うんでねえかなぁ・・・」と。
敵ばかりのあの中で、確かに手を差し伸べてくれたのは勇太でしたが、あの肯定の仕方だと、どうにも六花ちゃんの「逃げ」を肯定しているかのように映ってしまうんですよねぇ。
逃げ。
世の中には逃げちゃダメだ逃げちゃダメだと言って頑張った挙句に壊れてしまった少年もいるようですが、でも基本的に流れてくる現実には立ち向かわないといけないと思うんですよ。勿論頑張りすぎは良くないので、適度な休み、逃げは必要なのですが。
でも、その邪王真眼は、必要な逃げなのか?
確かに父親が死んだことは悲しい出来事だし、母親が姉と六花を置き去りにしたのも嫌な出来事だし、祖父に理解されないのも辛い出来事ではあります。
が、いつまでもそれらから逃げているわけにはいかないでしょう。
閉じた目を、邪王真眼を開かせようとしたのが前回の姉・十花だったわけですが、十花から六花を肯定してやり、手を引いて逃げたのは勇太。
そんな勇太を六花が特別視するのは想像に難くないのですが、それって恋ってか
「庇護者」を見つけた時のそれではないのかなぁ、と思うのですよね。
自分の理屈を肯定してくれる庇護者、それが勇太なのではないかと。
もっと言っちゃえば六花ちゃん、
甘えてんじゃねーのと。
んで、たまたま庇護者が男で、ついでにその甘えを恋だ恋だと囃し立てるモリサマーのせいで、勘違いしちゃってんじゃないかな。
自分の理屈を肯定してくれる人間なんて、そんなん誰だって好きになるよ。そんな奴いたら男の俺だって男好きになるよ。でもそれは、恋じゃない。
落っこちそうになったのを助けてもらおうと(吊り橋効果?)、とにもかくにも、「逃げ」を振り払えない限り、ラブい何かからは一歩遠ざかっている、そんな気がするのです(そういう後ろめたい恋もあるのかもしれませんが・・・自分にはよくわからない。あるいは「初恋」という、右も左もわからない部分もあるのかもですが・・・)。
おかげで、今回の六花ちゃんはめちゃめちゃ可愛いのに、なんだか素直にブヒれなかったりしたわけでw
もう自分が書いたことなんて砂上の楼閣のように崩れ去るべきものなのかもしれませんが、前にも書いたように、六花ちゃんは、そんなに馬鹿な子じゃないと思ってるんですよ。
きっといつか、爆ぜないリアルに向き合わなきゃ行けない時が来る(それは8話での勇太の「これでいいのか・・・?」に担保されている・・・と思う)。
作品タイトルは、『中二病でも恋がしたい!』です。
恋がしたいんですから、
恋をしてるわけじゃないんですよ。今はタイトル通り、「恋がしたい」地点に到達したので、これから先があるとすれば。
できれば「この恋」が、少しでもプラスの力になるように。
ここまで書いてきましたが、別にこの作品が嫌いなわけでもなんでもないです。
自分のメンヘラ的思考とちょっと違うので、これからどんな紆余曲折を経て、最終地点へ向かうのかな、なんて。
気になったまでです。
とりあえず、
十花さんはベッドの下のエロ本漁る前にやることがあると思います(迫真)
スポンサーサイト
テーマ:中二病でも恋がしたい! - ジャンル:アニメ・コミック
- 2012/11/29(木) 03:18:54|
- アニメ感想・考察(Ver.2.0)
-
| トラックバック:22
-
| コメント:0