不定形爆発 Ver.2.0

アニメとか漫画とか、まあ色々。与太話ブログ。プラモの話と写真はTwitterに移転しました。

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『のんのんびより』最終回のラストシーンについて考えたいひとつのこと

10か月ぶりのブログ更新です。思考が固まってないので、メモ書き程度に。

TVアニメ のんのんびより オリジナルサウンドトラックTVアニメ のんのんびより オリジナルサウンドトラック
(2013/12/25)
水谷広実、nano.RIPE 他

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『のんのんびより』の放映が終了しました。
思い返せば、今年は
<春> 『GJ部』最終回→もう何もかもが終わった…
<夏> 『ゆゆ式』最終回→もう何もかもが終わった…
<秋> 『きんいろモザイク』最終回→もう何もかもが終わった…
<冬> 『のんのんびより』最終回→もう何もかもが終わった…
と、いったい何回燃え尽きた矢吹ジョーになれば気が済むんだと言わんばかりの日々でした。まぁそのくらい日常系のアニメが多かったし、そればっかり見てました。

そういう流れの中で『のんのんびより』最終回を見ていた時に、「ん?」と首をひねりました。というか驚愕しました。
キャラクタたちが、カメラ目線で、こっちに向けて手を振っている。


まず最初に思い出したのは、『よつばと!』12巻でした。
よつばと! 12 (電撃コミックス)よつばと! 12 (電撃コミックス)
(2013/03/09)
あずま きよひこ

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あれも最後のシーンで、よつばがカメラ目線で「今日はなにしてあそぶ?」って言って終わるんですよね。
それを読んだ時にまず感じたのが、驚愕でした。読んでた電車の中で絶句しましたもん。
なんでかって、まぁBS漫画夜話なんかでも言われてたような気がしますが、自分が『よつばと!』という作品を「こんな世界は実際存在しないけれど、漫画という形でどうぞご鑑賞ください」というものだと認識していたからなんですよね。
だから、読者である自分はその世界を眺めるだけで、別段作品世界に対して批判したりなんだりってしてませんでした。あくまで自分たちはいわば「お客様」で、眺めているだけ。演劇や舞台やドラマとも違うから、ファンサービスとかそういうのもないし、関わりがまったく断絶していると感じていましたから。それはそういうもんだと。
ところがどっこい、作中のキャラクタが、カメラ目線で、つまるところの読者=自分に向けて語りかけてきたんだから、これはもう一大事ですよ。え、この作品って、私たちを必要としていたの!?って具合ですよ。

そもそも、読者がいて初めて成り立つ、というか、発信者(=作品)と受信者(=読者/視聴者)がいて成り立つものってなんでしょう。
たとえばメタネタでしょうか。あれって、発信者と受信者の間に共通の理解がないと成り立たない=面白くないですよね。両者共通の知識があって、初めて意味が通じるようになるじゃないですか。
あとは、時事ネタとか。あれも両者の理解がないとネタとしてお互いの中で成立しないですよね。他にも、古典で言うなら説話系の物語なんかもそうでしょうか。

パッと思いつくのはこの辺ですが、『よつばと!』ってこの手のネタ全然使ってないじゃないですか。
読者が作品を読んで、「勝手に」共感したり、「勝手に」感じ入ったりするばかりだったんじゃないでしょうか。だって、そういうネタがない限りは、読者の必要性は限りなく希薄で(作品が成立する段階で、作者や編集とかが「客」のことは考えてるのかもしれませんが)、私たちは鑑賞しているだけのお客様に過ぎないんですから。合いの手さえ求められていない。なんでしょうね、悪い喩え方をするなら、マジックミラー越しにものを見ているって感じなんでしょうかね。

そこで急にカメラ目線で、私たちに何かを投げかけてくる。
それって、一種のドッキリですよ。生まれた時から「あなたは透明人間です」と言われていて、いろいろ好き勝手していたら、実は「バレバレだぜ」って明かされるみたいな。
こっちが見ているだけだと思ったら、実は向こうもこっちを認識していた、という。

これが現実世界の、例えば舞台なんかだったらわかりますよ。だって目の前に生身の人間がいるんだから。そもそもそれは「役者」であって、「キャラクタ」とは違います。
でも、これって「漫画」じゃないですか。
そこには「役者」は存在せず、「キャラクタ」しか存在しないわけですよ。そもそも住む世界が違う。
元々メタネタとか時事ネタとか大量に突っ込んでくる類の作品だったらまだしも、『よつばと!』という作品の「キャラクタ」が急にこちらと接点を持ったら、戸惑いますよ、そりゃ。


『のんのんびより』でも似たような感覚を持ちました。
それは別に、「こんな田舎があるわけないじゃん」とか「こんな世界があるわけないじゃん」という批判とは位相が違います。ていうかそれはただの野暮です。江戸時代だったら確実にハブられるやつです。そんなことは百も承知なんです。

なぜ、こちらと直接的な接点を持とうとしたのか。

『のんのんびより』だって、向こうが提供する(作品内で完結する)物語、風景、キャラクタ、そういったものから、こちらがあくまでも「勝手に」共感したり感動したりするものだったと思っていました。
なんで作品の外の、受信者=視聴者に挨拶をしに来たのか。エンドカードなんかでなく、作品内で。

せっかくの年末なので、空いた時間でもう少し考えたいと思います。

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テーマ:のんのんびより - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2013/12/24(火) 06:18:06|
  2. まじめに考えた邪推
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