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不定形爆発 Ver.2.0

アニメとか漫画とか、まあ色々。与太話ブログ。プラモの話と写真はTwitterに移転しました。

GJ部麻薬論なんて書いたことを謝らせてほしい。そして、ありがとうと言わせてほしい。

5月5日、26時30分。
5月5日、27時30分。

終わりました。


GJ部@ [Blu-ray]GJ部@ [Blu-ray]
(2014/05/14)
四ノ宮京夜: 下野紘、天使真央: 内田真礼 他

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2つ前のエントリで、自分は「GJ部麻薬論」なるものをぶち上げました。その中で、こんなことも書きました。

放送後にBDやDVDを借りてきて(^p^)となる人間が果してどれほどいるのか。


申し訳ございません、完全に自分のことでございました。
BDは全巻発売日に買いました。りぴーと!でぃすくも買いました。『GJ部@』のBDも買うでしょう。きっとそれらを何回でも見返すと思います。

GJ部麻薬論を書いていた時、それはもちろん「面白いネタを提供してやろう」という気分も多分にありましたが、最初に頭にあったのは『らき☆すた』のことでした。
ひょんな機会で『らき☆すた』を見た時、「キャラクタがかわいいな」とか「パロディ面白いな」とか「このアニメ好きだな」などと思ってはいたものの、その後ついぞ見返すことはなく、同時に世間でも絵やらSSやらの2次創作はどんどん下火になっていき、俗な言い方であまり好きではないですが、いわゆるオワコンという位置についているような気がしていました(『らき☆すた』が好きな方には申し訳ありません)。
結局、キャラクタがかわいいという一点でしか興味を保持していなかった自分にとって、それはある意味の契機になりました。

「かわいい」だけでは誰からも顧みられない。
「かわいい」だけの萌えアニメならいずれ飽きられる。

そう考えていたからこそ、麻薬論を書いた当時の自分は、『GJ部』も所詮、瞬間最大風速をマークして消えていくだけの仮の物に過ぎないんだ……と感じていたのです。
社会のメカニズムに風刺をくれてやるわけじゃなし、険悪な人間関係の中から何かを拾い出すわけでもなし。
学園バトルでもなければSFロボットでもないし、ラブコメでもなければファンタジーでもない。
ただただ「かわいい」だけの、萌えアニメじゃないか、と。

ところがどっこい、ですよ。
最終回に近づくにつれて、どんどんのめり込んでいる自分がいるじゃないですか。
『GJ部』なんて、別に現実を引き映した鏡でもなければ、世間様に大上段から問題をふっかけるような作品でもない。
あんなにちっちゃい女子高生なんていないし、チェスでワールドチャンピオンに勝っちゃう先輩もいないし、毎日ケーキ焼いてくれる同級生もいない。ひたすらマンガ肉食ってる留学生も、敬語の使い方がみょうちきりんに過ぎる後輩もいない。
でも、そこには確かに「終わり」があったんです。
1話から季節は容赦なく進み、いずれ訪れる卒業式。
ゆるゆるやっていた毎日は終わりを告げ、同時にこの作品で描かれてきた世界も終わり。

そうすると必然的に、今まで見てきた話の中身を思い出すわけです。
このキャラクタたちは、今までに、どういうことをしてきたのかを保護者目線で振り返る機会が与えられたように感じました。
そうすると、そこまで思い入れがなかったはずなのに、割と思い出せるじゃないですか。
かわいいキャラクタたちが。

『GJ部』のキャラクタのデザインやら動きなんて、現実には全く関連がないわけです。『けいおん!』みたいに、わりかしリアルな女子高生に似せてあるわけでもないし。
でも、画面上でキャラクタたちが見せるちょこまかした動きや、言動なんかは、確実にかわいいんですよ。小動物的かわいいもあれば、ラブストーリー的かわいいも、コメディ的かわいいも、いろいろありましたが。
そんな言葉で分類するのも野暮なくらい、かわいかったんです。

どんなものにも来る終わり、それが劇中の卒業式や文化祭なのか、はたまたメタ視点の最終回なのか…。それは様々でしょうが、そこまでの過程を思い返し、懐かしみ、郷愁にも似た気分を味わうための思い出の付箋としての意味も、「かわいい」にはあったんじゃないか、という気がしたのです。

『GJ部』自体は、最終回、終わりのその後、部長を引き継ぎ、意思が引き継がれていく…という部分を見せてくれました。この引き継いでいく過程をドラマチックにキャラクタが感じる(そう視聴者たる自分に見せる)ためにも、やはり視聴者が「かわいい」にタグ付けしたそれまでの話数が重要になってくるわけで、そういった意味でも、画面上にかわいく、居心地のよい空間を見つけだすことの重要性は大きかったように思います。

「かわいい」にあんまりにも意味を見出しそうとしすぎて、自分は変なことになっているのかもしれませんが、それでも、以前の『らき☆すた』を路傍に打ち捨てていた頃の自分を『GJ部』はよくぞ成長させてくれたと思います。

今回の『GJ部@』も、卒業式のあとということで、まず「卒業旅行」というワードが出てきてくれたのは、ごく自然に感じました。あ、『GJ部』は終わったんだなと。あそこでのかわいかった思い出は、一区切りついてしまったんだなと。
でも卒業を迎えた後、終わったままじゃ寂しい。だからこそ。
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GJ部は心の中にあって、いつまでも永遠だという終わりのその先の言葉が、とても響いてくる。
最後にGJ部のみんなで手をつないで出来た輪。『GJ部@』の@の輪。終わりのないものがある輪。
『GJ部@』とてもよいものでした。


『GJ部@』を見終わった後、寝ないでぶっ通しでこの文章書いているので、かなりとっ散らかった印象がありますが、最後に。
「かわいい」があるからこそ、作品の「かわいい」のその先に思い至れる。
「かわいい」だけでも、思い出の付箋になる立派な役割がある。
かわいいもんはかわいいんだ。それの何が悪い。
という、今さらと言えば今さらなことですが、気付かせてくれた『GJ部』『GJ部@』には、麻薬論をぶち上げたことを謝りたいのと、感謝の気持とでいっぱいです。



最後にもうひとこと付け加えるなら、
『GJ部』のかわいさは麻薬レベルだと思います。(了)

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テーマ:GJ部 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2014/05/06(火) 05:41:24|
  2. まじめに考えた邪推
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