『けいおん!』が人気ですね。
自分は世間様が好きな澪や唯よりも律が好きなのですが、ここでふと思いました。
そういえば、自分は昔からメインよりサブが気になるやつだったなぁ、と。
ウルトラマンよりも怪獣の方が好きでしたし、シンデレラよりもイジワルな姉とかの方が気になる子供でした。
まあ言ってしまえば、マイノリティであったように思われる、ということです。
そこでマイノリティについて少し考えてみました。
漫画・アニメのレビューを旨とするブログは、今では星の数ほどもあります。
しかし、その中で1日に何千ヒットもするような、いわゆる「大手」の数は限られています。
思い込みかもしれませんが、大体の人は、その数少ない大手になりたいがためにブログをやったり、ホームページをやったりしていると思うんですよ。
誰だってコメントがほとんど無かったり、閲覧数がしょぼくれたブログなんてやりたくないですからね。
大多数の人が、大手と言うマイノリティを目指してやっているわけです。
じゃあ、そのマイノリティを目指すためにどうするのか?
とは言っても、アニメ・漫画関連のブログならそれ関係の記事を書くしかないわけです。
皆こぞってアニメの感想を書いたり、漫画のレビューをしたりするわけです。
でも、他の人たちと似たようなことを書いていたんじゃ、面白くなるわけがありません。むしろ、「パクるな」と誰かに言われたり、そういう評価を周りから受けてしまうこともあるかもしれません。
そこで、何らかの差異を作ります。
皆が面白いと評するものに、あえて「ここがちょっとうまくなかったな」と言ってみたり、「本当に見るべき箇所はココだ!」と別の見方をぶち上げたり。今話題の漫画の人気に押し潰されてしまった別の漫画を発掘してみたり。
方法は様々ですが、皆差異を作ります。
しかしてその差異はマイノリティを指向するように思われます。(というよりは差異=マイノリティです。)
そりゃそうです。赤いドットの中に1つだけ青いドットがあったり、むさくるしい男たちの中で一人だけ女である、というのはいやがおうにも目立つものです。
だからマイノリティをエントリの中に出そうとします。マイノリティを目指して。
それが過ぎたものであるならば、あまりにもマイナーになりすぎてしまいますが、運が良かったりエントリが良質であれば、大手に取り上げられたり、一部の人々から火がついて、多くの人々に見てもらえます。
それは言い換えてしまえば、マイノリティに引き揚げられるということです。
しかし、そんな風に引き揚げてもらえる人は多くはありません。大多数は今日も細々と、せっせと、マイノリティを出そうとします。違いを出そうとします。
ですが、あまりいないと思いますが、その“違い”に固執しすぎれば(自分みたいに)、なかなか検索に引っかかったりしないと思います。マイナーになってしまうからです。
るつぼに落ち込む。ドツボにはまる。
このネット界隈はマイノリティで回っていると言っても過言ではないように思います。
世界を牛耳る秘密結社とか、案外バカに出来ないよなぁ。
- 2009/04/16(木) 07:35:43|
- まじめに考えた邪推
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