不定形爆発 Ver.2.0

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『けいおん!』と『サザエさん』の差異―『けいおん!』11話の評価について

まぁ、今更な感じがしないでもないんですけど。
『けいおん!』11話の評価が結構分かれているようなので、自分なりの考えをここに記しておこうと思います。
どうやら評価を大別すると、「けいおん!」にシリアス展開はいらんという否定と、人間関係に深みが出たというような肯定の2つなようです。自分は後者ですが。

で、ここで考えたいのは『けいおん!』が何を描いているアニメなのか?ということ。もっと言ってしまえば「現象」と「主体」のどちらを描いているのか?ということです。

ここで言う「現象」とは“人間が起こす行動、活動”のこと。
『けいおん!』の謳い文句でもありましたよね、「ゆるやか部活ライフ」って。そういうものです。
これに主眼を置いて話が作られると、その話の中では人間関係、或いはキャラクタの精神に変化が見られないように思います。
代表例として、『サザエさん』。
あれは、磯野家の日常という現象、人間が起こす活動である「生活」が描かれています。そこにおいては、「サザエさん時空」という言葉があるように、肉体はもちろんのこと、精神も成長しません。人間関係に変化が現れないのです。中島とカツオが見知らぬ他人であった頃の話とか、描かれたことがないですよね。
これは、長年続いている国民的アニメに多い傾向であるような気がします。『ちびまる子ちゃん』とか、『ドラえもん』とか。
「現象」に主眼を置けば、この人の世にあって常について回る人間関係の変化を描く必要はありませんから、大量のストーリーを安定して作り出すのに有利だとも言えそうです。

対して「主体」とは、“行動を起こす人間”のこと。
大抵のアニメはこれを主眼において作られていると思います。
自分は、『けいおん!』はこちらの方で、「ゆるやか部活ライフ」じゃなくて、それをする「軽音部」を描いていると思うんですよね。
「主体」を主眼に置けば、どうしても変化する人間関係を描かなければ、話が不自然になります。人間である以上、大なり小なり人間関係は変化するでしょうから。
だからこそ、1話で律は唯をにらんだし、唯もそれを恐れた。
そして後半の話で、あそこまでの結束力を見せるに至った。
それは人間関係の変化であり、それゆえに『けいおん!』は人間をメインに据えていると思うのです。
その関係の変化の1つとしての11話なんだと思います。

どうも、否定する人たちは、『けいおん!』に『サザエさん』的要素を求めているんじゃないのかな。
そうじゃないんですよ。『けいおん!』は高校生活、部活を楽しむ女の子を楽しむアニメなんだよ。
と、声を大にして言いたい。
  1. 2009/06/19(金) 07:36:54|
  2. けいおん!
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