先日発売された、『転生神機メロウガイン』2巻の話。
以前、
1巻を取り上げた時に、「ずいぶんと昭和の特撮を彷彿とさせるストーリーです」と書きましたが、
今回も昭和っぽさがハンパじゃない。自分は、勝手な決め付けですが、主人公がウジウジ悩んだりするような作品を
「平成っぽい」と定義しています。主人公の悩み、葛藤、苦悩が、作品を進める上でも、演出としても重要なファクターになっているような作品です。
この作品も、平成に生まれ出でたモノですから、悩む描写が無いかと言えばそうではないのですが、その描写は、
圧倒的に少ない。数える人によっても様々でしょうが、自分が「悩んでるなぁ」と感じたのは
10ページ。1話のおよそ半分。
これ以降、主人公・ちかげは完全に吹っ切れているわけです。
最近の作品なら、1話ずっと悩んでろとは言いませんが、もっと何話かにわたってちょこちょこ考える場面が出てくるものだと思うのですが、この漫画にはそれがない。
主人公が、あまり悩まないのです。
昭和っぽい。その悩んで得た結果として、

劇中いわく、「みんなを護る正義のヒーロー」として戦うことになります。
一生懸命考えて、葛藤して、それでたどり着いた自分なりの答えを拠り所にして戦うキャラクタは非常にカッコイイと思います。
しかし、この作品、さっきも言ったようにそこまで悩んでないので、他の漫画・アニメよりも、そこで得られるカタルシスが足りないかなァ、と感じてしまうかもしれません。
ところがどっこい、それを補って余りあるアクションの数々。


牛若丸と弁慶のように、小さい者が大きな者を制するのは、見ていて気持ちのいいものです。それを1巻から引き続き、
2ページ見開きでデカデカとやってくれるもんだから、カタルシスがどうのこうのとか、考えなくても済みます。過剰なアクションにも思えますが、ここまで来ると清々しいくらいです。
と、今まであげたように、この漫画には
「考えない」ことによる爽快感があると思います。ハリウッド映画みたいな。
その一方で、けっして、
「考える」ことの重要性を捨てているわけではありません。
証左として挙げるなら、敵キャラクタの方は結構悩んでるんですよね。この巻で言えば、敵幹部の「鉄腕ゲッツ」とか。
また、ネタバレになるので詳しくは書きませんが、終盤の鉄腕ゲッツとの戦いでは、自分のためじゃなく拳を振るう「ヒーロー」同士として、その信念が
自分で考えたものかどうかが問われます。
考えない「昭和っぽさ」と、考える「平成っぽさ」を併せ持ったこの作品。
興味のある方は是非どうぞ。
- 2009/10/11(日) 21:48:06|
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