不定形爆発 Ver.2.0

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フル・フロンタルの抱える象徴についての話―『機動戦士ガンダムUC』


機動戦士ガンダムUC〈3〉赤い彗星 (角川コミックス・エース)機動戦士ガンダムUC〈3〉赤い彗星 (角川コミックス・エース)
(2007/12)
福井 晴敏

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ニュータイプ?可能性はもう要らない!

というわけで、『機動戦士ガンダムUC』におけるラスボス、赤い彗星の再来、フル・フロンタルの話。
主に書籍『機動戦士ガンダムUC』と朗読劇『赤の肖像』から得られる情報をもとにして話をします。まあ、福井先生のインタビューとかの二番煎じになる感は否めませんが・・・。

原作8巻までの内容を含みますので、アニメ組はネタバレ注意。

フル・フロンタル、赤い彗星、シャア・アズナブルの再来。シャアの叛乱後、バラバラになった組織を糾合・再編して『袖付き』を組織し、ネオジオンの新たな首魁となった男。

ユニコーン本編における最大の敵として登場することになるこの男ですが、どうにもガンダム作品における新たな「大人」像を提示しているように思えます。


以前、原作者である福井先生へのインタビュー記事で、フロンタルを指して

自分が「大人」であることを最大限に使ってくるエグい男

というような趣旨の発言がありましたが、果たしてこの「大人」とはどういうことなのか。


従来のガンダム作品では、主人公=子供=ニュータイプと対立してきたのは、大人=旧体制=オールドタイプであるところの軍人や政府高官といった人々でした。今作で言うなら地球連邦軍や地球連邦政府ですね。
この傾向は、『機動戦士ガンダム』において、アムロがリュウの戦死に対する軍の処遇に反感を覚えたり、『Zガンダム』でカミーユがMk-Ⅱを乗っ取ってMPを怯えさせた描写からも伺えると思います。

さて、その一方でフロンタルですが、まず彼はそもそもオールドタイプではありません。本当のニュータイプなのか強化人間なのか8巻時点では判然としませんが、サイコフレームを内蔵したシナンジュを乗りこなしていることからもそれは明らかでしょう。この時点で旧来とは違うということを予感させます。

では具体的にどう違うのか、という話ですが。
従来の大人たちが、「システム・社会・義務・責任」といったような記号、子供と大人を境する記号を背負わされていたのに対して、フロンタルはよりもっと精神的な部分での記号を背負わされています。
それは可能性の否定。「そんなことはありっこない」だとか、「ありそうもないことにすがってもしかたない」とか。希望的観測の否定と言い換えても良いかもしれません。

大人、というものは可能性にすがってはいけない生き方を余儀なくされていると思います。仕事の納期が奇跡的に延長されるだとか、何だかしらないけど急に大役に抜擢されるとか。そんな夢見心地で生きてる人間、会社だったらクビでしょうし、少なくともハジキ者にされるのは確かです。可能性を見て生きている大人は、この世を回すのに役に立たない。今、現実に、この手の中にあるものを使って現状を回していくことが求められているんじゃなかろうかと思います。

『赤の肖像』でのフロンタル担当部分では、

「いつか人は時間さえ支配できる?それは夢だ」
「ニュータイプ?可能性はもう要らない」

だとか発言してますし、本編や他のゲーム作品などでも、

「可能性を残したいというその思い自体が、可能性を殺しているのだよ」

とか発言しています。
『ラプラスの箱』を手に入れた後に何をするのか、というオードリーの問いの答えにも、勝ち目の無い武力闘争ではなく、サイド共栄圏の建設による経済戦争で連邦に戦いを挑む旨を話していました。あくまでもリアリスト、どこまでもリアリストです。
劇中、フロンタルがバナージを懐柔したり、裏から手を回してマハディのダカール襲撃を援助したりする場面は、直接戦場に出るだけが能じゃない、世渡りに長けた「大人」の手練手管を想起させもしますね。現状をうまく利用しているというのか。


従来の大人たちが、面と向かって子供の特権である夢、「可能性」を否定してくることはありませんでした。
けれど、フロンタルは違う。面と向かって可能性を否定するし、何度でも目の前に立ち塞がる。ユニコーンガンダムが「可能性の獣」と言われるのに対して、シナンジュが「可能性を摘み取る紅」と言われるのもこの証左でしょう。



また、フロンタルには実在の人間としてでなく、あくまでも「象徴」としての立ち位置が求められていることにも言及できます。
本編において、フロンタルを指して「作り物めいた仮面」(バナージの所感)との表現がありますし、先に挙げた経済戦争というネオジオンの、自身の今後の展望を語っているにもかかわらず「熱がない」とも言われます。

それはそうでしょう。フロンタルは組織を立て直すための象徴、スペースノイドをまとめる象徴でさえありさえすればいいんですから。人間でなくたっていいくらいです。果たして、軍事部門の長である彼が、経済戦争において役に立つでしょうか?フロンタルは大人が回転させるべき「今・現在」の象徴でありさえすればいいんです。
だからこそ自身を「器」と割り切ってもいるのでしょう。中身はからっぽ、誰かの意思を注がれて初めて肉付く「器」です。

これはシナンジュの描写からも言えることで、背中に翼のごときスラスターを備えたシナンジュは、劇中しばしば親衛隊長のアンジェロをして、「天使のようだ」「赤い大天使」などと表現がなされます。
一方で、頭部ユニットを損傷して、モノアイなどが剥き出しになったりすると、今度は「骸骨のようだ」と表現され、一層フロンタルが中身の無い象徴であることを浮き彫りにします。


旧来の「大人」の役割を演じるのが、オットーやダグザやジンネマン。
新たな「大人」の役割を演じるのが、フロンタル。

フル・フロンタルはガンダム世界における、新たなキャラクターの地平を拓いたと言ってもいいのではないでしょうか。
  1. 2011/03/11(金) 02:45:39|
  2. まじめに考えた邪推
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