【ニコ生徹底評論から】『日常』は評論家達にこう思われているのか ― やらおん!これを読んで「ほう」と思ったので、ちょっと『日常』というギャグアニメについて色々書いてみる。
以前の記事については↓
原作とアニメの良好な関係~漫画篇~原作とアニメの良好な関係~漫画篇~ 第2回 本題は追記から。
763 名前:メロンさんex@ご利用は紳士的に[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 03:13:39.40 ID:ONTGpTQK0
ギャグは間が命なのに
京アニは動きでそこを埋めちゃうからね
先に挙げた記事を読んで、まず目についたのがここだった。
以前も記事で、ギャグ・4コマ漫画には独特の「間」があると書いたが、こと今回はギャグ漫画の「間」について書きたいと思う。
ご存じのとおり、『日常』はギャグ漫画だ。数あるギャグ漫画のうちでも、「シュールギャグ」に分類されるものだ。ここではシュールという言葉の定義については頓着しないので、まあ不条理ギャグと言い換えてもいいだろう。
このシュールギャグは、不条理ギャグと言い換えられることからも明らかなように、通常の漫画に比べて、話の流れというものが、断絶している。喩えるなら、アルファベットを唱える時はAときたらBだが、この場合はAときたら平仮名の「れ」がくる、といった感じだろうか。(うまい喩えが思いつかない)
シュールギャグは、話の筋で面白がらせる類のものではない。したがって、一枚絵のインパクトで勝負することになる。
参考に、Amazonのものだが、『日常』第1巻の表紙。教室に鹿がいるというわけのわからなさが、この絵のインパクトにつながっている。
上に挙げたのは表紙だが、本編でもこのようなインパクトある絵(大抵は一瞬わけがわからない絵)がドンと出てくる。断絶=「間」の後の、このインパクトで笑いを取っているように感じられる。しかも漫画という媒体上、「間」はページをめくる間ということになる。コマとコマとの「間」よりも重要なページとページの「間」が使われるあたり、シュールギャグ漫画にもやはり「間」が重要な要素だと言えるだろう。
さて翻ってアニメだが、まあ、一枚絵のインパクトを表現するのには、やはり不向きな媒体だ。どうしても動きが生じるからだ。間を埋めなければならないという、アニメの都合上、致し方ないことではあるが、やはりインパクトを減殺する効果があるように思えてしまう。
でも、自分はアニメ『日常』を楽しく視聴できている。
なぜかと言えば、一枚絵を使わないネタ、もっと言うなら「セリフで笑かす」ネタは、十二分にアニメという媒体でうまく作用するものだからだ。漫画におけるセリフという聞くことのできない音声は、テレビアニメという場でも、決して通用しないものではないだろう。
言いたいことはここで終わり。最後のセリフ云々というあたりは、正直、自分の脳内における「キャラクタの発話時間」とアニメがマッチングしているだけだ、という点も見逃せないけれど。
それでもやはり、原作信者の自分の言いたいことはここで終わり。
- 2011/05/07(土) 23:33:32|
- まじめに考えた邪推
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