〝やり直す〟ことの意味。首が飛ばないとか喜んでたら、ご覧のありさまだよ!ってな感じではありますが。
『おりこ☆マギカ』の最終2巻が発売されました。
続きは追記に。ネタバレ注意!
いやぁ、まさか、
担任の先生が死ぬとは夢にも思わなかったね!まぁ、それもこの作品においては些事に過ぎないってことが、いかにこの作品が殺伐としてるかを表してるのだとは思いますけれども。
織莉子は予知が可能な魔法少女で、世界がいずれ迎える終わりや、魔法少女が魔女になる運命を抱えているという真実をハナから知っていました。
その上で彼女が選択したのは、
鹿目まどかを殺すこと。彼女が見た世界の終末は、ワルプルギスの夜ではなくて、救済の魔女となったまどかのことだったんですね。織莉子は劇中「世界の終末」という表現を使いますが、納得。ワルプルギスも強力な魔女ではありますが、世界を崩壊させるだけの力は持ってませんからね。町ひとつ壊滅させて、そのまま世界を彷徨う存在ですからね、ワルプルギス。
そのために、呉キリカとともに魔法少女を殺して回ったり、キュゥべぇにまどか以外の魔法少女の素質がある少女を教えたりと、とにかくキュゥべぇの目をまどかからそらし続けてきました。まどかの魔法少女化、ひいては魔女化を防ぐためでしょうかね。この時点だけで留まっておけば、ほむらと目指すべき場所は同じだったのですが。
本編の詳細は割愛しますが(この記事を開いた人は既読だと思います)、表紙絵からも分かるように、
2組の女の子の物語だったんですよね。
どちらも世界が終わりを告げることを知りながら、取る手段は違いました。当たり前ですけど。
ほむら→世界の終わりを防ぎ、まどかを生存させる
織莉子→世界の終わりを防ぎ、多くの人を救う
と言うように、前提条件は同じなのですが、目指す場所が違いますからね。おりこにとっては、まどかは目標を阻害する巨大な因子にしか見えないのでしょう。
また、ほむらと織莉子の違う点は、
チャンスの回数なんですよね。
ほむらは失敗しても、心に苦しいものはあるかもしれませんが、過去に戻ってやり直すことが可能です。
しかし織莉子は違います。予知能力でこれから起こりうること、また魔法少女の真実を知りましたが、時間遡行ができるわけではありませんし、別の時間軸で同じ願いで魔法少女になるかどうかも分かりません。一世一代、最後のチャンスなのです。キリカに出会えるかもわからない。
ほむらにしてみれば、まどかを魔法少女にすることなくワルプルギスの夜を撃破できればそれで万々歳なのですが、織莉子の側から見れば、キュゥべぇという魔法少女を生み出すシステムが存在する限り、まどかという史上最悪の魔女が生まれるリスクを回避できない。キュゥべぇがいくら殺しても復活するのは分かっていることですし。
いくらワルプルギスの夜を撃破しようとも、それで守った世界が存続する保証にはなってくれないんですよね。自分の心を救ってくれたキリカが生きていてくれる、そんな世界が続く保証には。
だから、殺す。
そう考えるのも無理からぬことのように思いますが、やはり思考が極端な気はします。まぁ、まどかが神になる、なんて選択肢が通常考え付くわけもありませんし、当然と言えば当然ですかね。
最後、死の間際で、魔女キリカの欠片でまどかの胴体をぶち抜くという離れ業をやってのけ、消えていった織莉子。
織莉子の本懐は遂げられたわけで(キリカの躰も守ったわけですし)、世界滅亡ルートは回避しました。
けど、そんな願いも空しく、ほむらの盾は回転し―そして世界も回転します。
そう考えると、ほむらの時間を巻き戻す力って、
人の想いを踏みにじる能力なんですよね。
誰がその時間軸で何を成そうとも、ほむらの思惑に沿わなかったらオールリセット。
やる意味なんてない。意志なんて関係ない。
ほむらの想いを遂げるまで、世界はぐるぐるぐるぐる廻り続ける。
織莉子の行った世界救済(方法はアレですが)だって、ほむらにしてみれば、イレギュラー、失敗パターンの一つでしかない。
希望を希求するのも結構ですが、その一方でうやむやにされしまった人々は何を思えばいいのか。何を悲しめば、恨めばいいのか。
そもそもリセットされた時点で、そんなことを考えることもできないんですけどね。本編の枠の外で、
やり直し続けることの恐ろしさを描いたようにも思われた本作、スピンアウトとしてはかなりいい出来だと思います。2巻で完結なのがもったいないくらい。
ムラ黒江先生、お疲れ様でした。
テーマ:魔法少女まどか★マギカ - ジャンル:アニメ・コミック
- 2011/06/14(火) 00:18:27|
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