本日、友人たちと一緒に『コクリコ坂から』を見てきました。
まあ、公開されてから結構経っているので、「ようやっと」って感じはあるんですけどね。
友人たちにも前々から薦められていて、「これはお前が好きな路線」(とりあえず男の子と女の子が睦まじくしてたら自分は満足なのです)とかなんとか言われていたのですが、その他にも「見てて母校の高校を思い出した」とも言われたのですよね。
というわけで続きは追記。ネタバレ注意。
高校の名前を出すことはできませんが、自分が通っていた高校の校舎って、とっても古いのですよね。
1棟は1933年にできた、安田講堂の見た目を真似したコンクリート造り。
講堂は1934年にできた、1棟に合わせた鉄筋コンクリート。最近耐震工事も終わったばっか。
有体に言えば、「ボロい」校舎で3年間を過ごしてきました。
床板なんて真っ黒だし、窓のガラスもなんだかくすんでる。講堂は新しい体育館に比べて狭いし、天井も低いからバドミントンをやるとすぐ羽が引っ掛かっちゃう。
2棟や3棟は比較的新しく、おかげで1棟やら講堂はよけいにボロっちく見えます。
でも、それでも、3年間この校舎のお世話になってきました。
1年生の時は1棟が教室だったし、3年生の時は1棟の進路指導室に何度お世話になったか知れません。
講堂でも卓球やらバドミントンやらの体育や集会で、何度も足を踏み入れました。
卒業する時には名残惜しく感じたものです。冬場に達磨ストーブのお世話になることももうないのかと思うと、余計に。
だから、今回、『コクリコ坂から』のカルチュラタン解体騒動には、共感するものがあったのです。
長い時間そこに建っていて、お世話になってきた建物には、愛着が湧くものなのです。
特に作品内では、あそこを使っていたのは哲学部やら文芸部やら山岳部などの「部活」をやっていた連中です。
高校(学生)時代の放課後の長きを過ごす部活動の活動場所。なればそこに対する思いというのもまた格別でしょう。
ボロい建物ではありますが、長い時間を過ごしてきた、そこは確かに彼らの居場所でした。
きっと何代にも亘って使われてきたのでしょう、カルチュラタンは。
けして大切に使われてきたというわけではないのでしょうが(掃除されていなかったし)、先輩たちが過ごしてきた時間が、歴史が、そこにはあるはずなのです。
その歴史を簡単にポイッっと放ってよいものでしょうか。
カルチュラタンの居心地を、自分たちの確かな居場所を放っていいものでしょうか。
俊くんのセリフでもありましたが、「目の前の新しいものに飛びつくばっかりで、過去を顧みないものに未来はない」のではないでしょうか。
新しいものにも確かにいい部分はあります。というより、良い部分ばっかりでしょう。
けれど、多くの人々がそこで過ごしてきたという雰囲気、混沌とした緩慢な空気は生み出せるものではありません。
だから彼らは取り壊しに反対したんじゃないでしょうか。
自分たちの居場所を、そして伝統を守るために。
その過程で女子の応援を得て、カルチュラタンの補修・清掃を行えたのはよかったと思います。いっくら少数勢力が気張っていたって、やはり説得力に欠けるものがありますから。
それに、「過去を顧みる」という行為を全員が行わなければ、古い建物というのは残せるものではありません。美点を認める者がいなければ立ち行かないことです。
結果、理事長の認可を得て、カルチュラタンは残されることになりました。
歴史や伝統というものは、人間の目の前に転がっているものではありません。
振り返って顧みる、思い出す、その行為が作り出すものです。
しかし、伝統やらの言葉は進歩を停滞させることもある危険な言葉でもあります。
けれど、ですよ。
まだ古い建物が補修したら使えるとしたら?温かみのある素敵な建物だとしたら?
新しいばかりが能じゃないと思うのです。
「素敵な魔窟ね」って言える場所がある、それはとっても嬉しいこと。
だから自分は、もう卒業した身分ではありますが、母校のボロい、古い校舎を大事にしようと思うのです。
テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック
- 2011/08/16(火) 22:11:58|
- アニメ感想・考察(Ver.2.0)
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よく分かるなあ。
1棟が無ければ我々の高校たりえないと言っても過言ではない。
でも耐震工事はしないともうそろそろやばいでしょうなw
- 2011/08/17(水) 07:09:41 |
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- garbage #-
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コメントどうもです。
耐震工事ってまだしてなかったのか・・・危ないなあ。
あの校舎にはいつまでも残っていてほしいものです。
- 2011/08/24(水) 21:48:32 |
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- ホウ酸 #-
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