不定形爆発 Ver.2.0

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「人類VS非人類」の構図に関してアレやコレ

(書いてる本人は)真面目な考察です。
SF映画、小説、アニメやゲーム等での「人類VS非人類」の構図について考えてみたりします。
ここで扱うのは、あくまで「相手とのコミュニケーション不可」というもので、なおかつミリタリー要素が強いものです。あしからず。

①安易な敵、エンターテインメントとしての戦い

そういう作品には、いくつかの共通点があると思います。

一つは、非人類のほうが圧倒的、または人類と実力が伯仲しているという事。
こういうのに出てくる非人類は何らかの手段によって、「こんなん人間が勝てるわけねーだろ」という位、反則的な強さを誇っています。
子供がケンカで負けそうになったら、何をしてでも負けたくないと思うように、人類という種も、あらゆる手段で、人が滅びるくらいなら・・・、と、この圧倒的な敵を排除しようとします。それは核であったり、新兵器であったり、色々ですが・・・。
これによって、演出が強化できます。
使う相手が人間であったら、すごい兵器を使って、敵として排除できないのです。そんなことをやったら、それは作品として非常に問題がある気がします。
しかし、敵が人間でない以上、たとえ核使おうが何しようが自由なのです。

なおこの場合、大抵、人類が戦いを吹っかけられた側にあります。「こっちが被害者なんだ」という感情で、正当化しようとしている感じがします。ですから、人はこの演出に何も感じませんし、むしろ「お前ナニ言ってんの?そんなこと気にして」となるわけです。

もう一つに、非人類側に“意思”なるものが感じられない点。
登場するほとんどのものは、意思がなく、ただただ本能のままに動いているように思えます。まるで機械のようです。
この「機械のよう」というのが重要で、相対しているのが生物なのにも関わらず、相手の側にドラマを発生させません。
相手が人間なら、話には描かれなくとも、例えそれがモブキャラでも、「そいつには家族もいるだろう、恋人も友人もいるだろう」と一応ドラマは存在するわけです。
でも、相手が非人類ならそんなことはありません。ゴキブリの生活にドラマが発生しない、もしくは発生しても、それが知覚されないのと同じです。
つまり、相手に感情移入は不可能という事実をこれで作り上げているというわけです。感情移入というと、言い過ぎな気がしないでもないですが、少なくとも相手のことを考える必要など微塵もいらなくさせます。
これによる安易な敵の生産は、相手を考える必要の排除と同時に、戦争へと至るプロセスもかなり簡単なものに出来ます。

②“旧世代の戦争映画”としての側面

では、なぜ①で挙げたようなモノが存在しているのか。
ここで、ちょっと話を転換したいと思います。

とある本で読んだのですが、(タイトルを失念しました・・・申し訳ありません)第2次大戦終結以前、戦争映画は純然たる娯楽映画として存在していました。戦争を礼賛するものではなく、あくまで娯楽としてです。
しかし終結後は、核兵器の登場などということもあったからでしょう、戦争映画というものは娯楽として在ってはいけない、というような風潮が出来てきました。
それはそうです、今のご時勢で「我が部隊は敵をやっつけ陣地を取って、見事戦争に勝利した」という内容だけの映画が作られた日には、一体どこから批判が飛んでくるか分かったものではありません。
戦争映画はただの娯楽映画としてはいられなくなりました。
今ある戦争映画を見ても、戦闘シーンに興奮する、などといったものはなく、人間の意味、戦争の意味を問うような作品ばかりです。(けなしているわけではありません)

ここで「人類VS非人類」の作品に話を戻します。
ここで言いたい事は、これらの作品は旧世代の戦争映画としての側面を持っているということです。
これらの作品の内容で、敵が人間であれば間違いなく批判を受けます。大抵の敵は見るも無残な死に方をするわけですから。(往々にして人類側もそうですが)
が、敵が非人類であれば①に挙げたように簡単に、娯楽としての戦争が再現できるというわけです。

ただし、こういった特徴を持ってはいても、通常は登場人物たちのドラマが話の主軸となっているので、我々にそれを知覚させるわけではありません。
これらの作品を「旧世代の戦争映画の行き着いた先」として断じてしまうのは、また違うと思います。
ただ、これらの作品は、こういう一面を持っているという事実があるだけです。

と、徒然と妄想の迸るままに長文を書いてしまいました。
言っておきますが、そういったSF作品などを批判するものではありません。むしろ大好きです。

こうやって書いてはみたものの、こういうシチュエーションの作品をそんなに読んだわけではないと、書いた後で気付きました。
もっとそういう作品を読んだ後で、また考察し、思索を深めてみたいと思います。
駄文失礼いたしました。

次は『終りなき戦い』を読もう。
  1. 2008/12/05(金) 23:33:22|
  2. まじめに考えた邪推
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